日本版 EHR の現状を語る
地域プロジェクトからの報告

東京都医師会 HOTプロジェクト

ー 社会におけるITを活用した医療基盤の構築 ー

東京都医師会理事 大橋克洋




 本プロジェクトの目的は「医療と社会との間で、 より良いコミュニケーションをはかるインフラを作ろう」ということです。 ここで提供される東京都医師会のネットワークを 「ほっとライン」と呼びます(主治医と患者を結ぶホットラインの意味と、 患者にとって「ほっと」するラインでありたいという願いを込めたもの)。


○ HOTプロジェクの理念

 今や多くの企業がコンピュータなしでは仕事が成立たなくなっています。医療も必ずそうなることは間違いなく、そうなれば必ず行政による規制が行われることも間違いありません。国が医療のIT化を強力に推進しつつあることは、 今春の診療報酬改訂にも現れています。

 行政による規制の前に「現場の人間が実情に合ったもの」を作成し、それを実地に使いながら「実用性を確立」させた上で行政へ渡し、「社会のルールとして使われるようにする」ことが非常に重要と考えています。 その方が医療の現実に即したものを提供でき、税金を無駄に費やすこともありません。

 当然のことですが、医療側だけの都合や利益を追求するのではなく、 受益者である国民の利益をめざして医師会事業を進めてゆくべきです。 結果としてこれは医療機関へも還元されるはずです。 東京都医師会の HOT プロジェクトは、そのようなコンセプトの基に粛々と進められている事業であることを、まずご理解頂きたいと思います。


○ ほっとラインは人間や医療サービスを結ぶ流通経路


いろいろな医療ネットワークの相互接続により
いろいろな医療・福祉・介護・健康サービスを
誰もが何処からでも利用できる

 「ほっとライン」は、「入り口でセキュリティーを確保された道路」であり、 その中は「青空市場」のようなものです。 これを使って利用者同士が情報交換をしたり、いろいろなサービスを利用できます(携帯電話では、路線検索、地図情報など、いろいろなサービスを利用できます。これと同じようなことですね)。

 従来、医療ネットワークでの流通対象として「データ」だけが強調されてきました。 これからは、医療関連「サービス」の流通こそが重要と考えています。 そしてそれらについて「異なるネットワーク間での相互乗入れ」を推進すべきでしょう。


○ 現在どんなことができるのか

 「ほっとライン」は平成16年春に稼働しましたが、まだ利用者は100名前後です。立派な高速道路ができても、利便性がわからなければ誰も利用しません。 そのようなことで東京都医師会としては、 せめてまず誰でも手軽に使ってみることのできる自転車程度から 提供すべきと考えるようになりました(この事業は、 全国でも珍しく東京都自前の予算だけで実施しています。 従って一度に大きな資本投下はできません。 なるべく少ない経費で着実に進めていきたいと考えています)。

 上の図がインターネットから「ほっとライン」への入り口です。「ID」と「バスワード」の他に、パソコンへセットする「電子認証キー」を必要とします。 このように厳重に守られたネットワーク「ほっとライン」では、 次に述べるような医療サービスが提供されています。

  1. 紹介状のやりとり
  2. 受診者へ自分の診療データの公開
  3. 連携医療機関や受診者と診療データの共有

 上の図が共有される医療データの画面のひとつです。連携するドクター同士で共有したり(患者さん本人の許諾が必要)、患者さんへ公開することができます。

 今後ここには、 フリーマーケットのように多彩なサービスを増やしていきたいと考えています。 これらはすべて、インターネットのホームページを見られる環境で 「ほっとライン」へ登録さえすれば利用できます (このようなものを Web アプリケーションと呼びます)。


○ Web処方箋

 「ほっとライン」で利用できる付加価値サービス第一弾として、 今年初めから提供しているサービスが「Web処方箋」です。

 自分のいつも使う約束処方の登録、薬剤の添付書類の閲覧機能、配合禁忌の自動チェックなどができ、きちんとした処方箋をプリントアウトできます。従来通り、この紙の処方箋を患者さんへ渡しますが、そこには2次元バーコードが印刷されており、「ほっとライン」対応調剤薬局では処方データを電子的に読み取れます。 このような形で「ほっとライン」を介した調剤薬局との連携へ発展します。

 今後さらに提供していきたいものとしては、 臨床検査施設からのデータ転送、画像データ・サービス、携帯電話を利用できる診療予約システム、健康ノート、その他があります。


○ 健康ノート

 それらの中でも最終的にぜひ実現すべきと考えるのが「健康ノート」で、 これについてはやや詳しく説明したいと思います (紙の「健康手帳」と区別する意味で「ノート」という文言を使っています)。

  1. 「カルテは誰のもの」という議論

     確かに診療録に記述された内容の多くは 患者さんのものであることは間違いありません。 しかしそれ以外の内容もカルテには混在しています。

  2. カルテは医療機関の「業務用書類」

     そもそも業務用書類は、それを扱うプロの思考過程まで含め 記述されている訳ではありません。メモや符号のようなこともあり、 プロ以外が見ても理解できないばかりか、 誤った理解をすることも多々あります。 企業や行政などでも、 業務用書類をそのまま顧客へ手渡すケースは極めて少ないでしょう。

  3. 相手が正しく理解できるよう伝達されてこそ本当の「情報」

     いくら「生データ」そのものを開示しても、 相手に正しく理解されなければ真の情報開示とは言えません。 まして間違って解釈されるようでは本末転倒です。

  4. 受診者にわかりやすく役立つ情報を

     個人の「健康ノート」へ、 主治医がわかりやすく書き込んであげる方が合目的と思います。 書き込む内容は主治医によりさまざま。 療養指導のような2、3行のメモもあるでしょうし、かなり詳細なものもあるでしょう。 電子カルテで転記も効率化されるはずです。

  5. 完全に個人のものである「健康ノート」

     「母子健康手帳」などを発展させた「生涯健康手帳」のようなイメージです。 自分で書き込むこともできるので、自分の健康状態を把握し、 健康維持・管理への意欲がわくというメリットも大きいでしょう。 これによりカルテの内容が受診者にとって生きた情報となるはずです。

  6. 電子化することによる大きなメリット

     電子健康ノートであれば容量は実用上無制限に近くなりますから、 検査結果、レントゲン、心電図など何でも入れることができます。 母子手帳などのようにフォーマットが決まったものではなく、 あくまでも「電子的な容れ物」であって内容を限定しません。 母子手帳や企業や行政で発行している健康手帳の内容など何でも入れることができます。 必要なものを検索したり、グラフ表示したり、 非常に便利に使えるようになります。

  7. どこに居てもセキュリティーを確保しつつ読み書きできる

     「健康ノート」は預金通帳と同様、ホームページと暗証番号を使って、 世界中どこへ行っても読み書きできます。ITを使わない人は、預金通帳と同様「医療情報銀行」からプリントアウトしてもらったものを持ち歩くこともできます。

  8. 自分の情報を自分でコントロールできる

     本人が許諾した人間だけが読み書きできます。 このように「自分のデータは自分の責任で管理する」ことが望ましいと思います。 旅先で病気になっても、携帯電話の画面に自分の医療データを表示し ドクターに見せることもできるでしょう。

  9. 「健康ノート」は EHR そのもの

     色々な施設で得られた医療情報は断片として存在してきましたが、 医療・健康・福祉情報を自分自身の手元に集約し管理できますので、 カルテほど詳細ではなくても一貫したデータの流れとして 参照・利用できるメリットは大きいでしょう。 必要な場合のみ医療機関にある原データへリンクして参照できるようになっていれば、 すべての要求に応えられるはずです。


○ 全国的な協調関係・相互乗り入れ

 全国で運営されている同様の地域医療システムが共通に抱える大きな問題は「維持・運営費の捻出がきわめて困難」なことです。これを少しでも解消するため、今後は各地のシステム同士が連携してハードやソフトなどを共有し、 全国が連携することによるスケールメリット・経済性を生かさねばなりません。 これにより以下のようなことをめざします。

  1. 医療・福祉・介護・健康サービスの全国規模での相互利用
  2. 全国どこへ行っても共通の医療サービスの提供
  3. それぞれの独立性を守り、かつシームレスな連携をはかる
  4. 基盤の共有による運用コストの低減と効率化

 これまで長い間、色々なところで 全国共通の医療インフラの実現が考えられてきましたが、 現在に至っても実現されていません。 その原因は「全国の医療データやコード、システムなどを統一すべき」 という方向性にあったと考えています。

 それよりも「それぞれの医療連携ネットワークの独自性を保ちつつ」 かつ「データやサービスについては垣根を越え相互利用できる」 仕組みこそが現実的です。 「統一国家」をめざすより「合衆国」をめざすべきでしょう。 各ネットワークで利用される MML、HL7 その他のプロトコルを 相互変換(翻訳)する仕組みの実現によって、 はじめてこのような広域医療インフラが現実のものになると確信しています。


○ おわりに

 冒頭に述べたように医療のIT化への波は否応無しにやってくるものです。医療の前に社会のIT化の方が早く進行している面も多いと思います。

 このような中で、 HOTプロジェクトは「国が行うなら、こういうことを行うべき」というものを、 医療の現場の視点から研究・実践・実用化し、 最終的には行政の手へ移管して 社会のインフラとして国民全体が享受できることをめざし、 志を同じくする仲間達と構築して行きたいと考えています。